オバマ大統領のスピーチ

20150412_184919 (800x450)

オバマ大統領勝利演説

2008年の11月4日に、オバマさんは地元シカゴで勝利演説を行いました。
あの一世を風靡した「Yes, we can.」ですが、あれからもう7年、早いですね。

よく考えてみると、当時はオバマさんが大統領に就任するにも 課題は山積し、実は希望を語れる状況ではなかったのかもしれません。

でも、やはりリーダーになる人は、「希望や夢を描ける人・夢を語れる人」でなければならないですね。

皆さんの中にも、規模の差はあれリーダー的立場の方もいらっしゃるのではないでしょうか?あるいは、近い将来そんな立場になる方もいるかもしれません。
ぜひ夢を語れるように、今回はオバマ大統領の演説をチェックしてみましょう。

その気になって、音読や独白的に1人で演説するのもいいかもしれません。
家族から「どうしちゃったの?」と心配されても大丈夫。家族に「英語に対する夢」を語ってください。

では、演説の後半部分を引用します。( 生声CD付き [対訳] オバマ演説集 朝日出版社より )

This election had many firsts and many stories that’ll be told for generations. But one that’s on my mind tonight’s about a woman who cast her ballot in Atlanta. She is a lot like the millions of others who stood in line to make their voice heard in this election, except for one thing: Ann Nixon Cooper is 106 years old.
She was born just a generation past slavery, a time when there were no cars on the road or planes in the sky, when someone like her couldn’t vote for two reasons: because she was a woman and because of the color of her skin.
And tonight, I think about all that she’s seen throughout her century in America — the heartache and the hope; the struggle and the progress; the times we were told that we can’t, and the people who pressed on with that American creed: Yes we can.
At a time when women’s voices were silenced and their hopes dismissed, she lived to see them stand up and speak out and reach for the ballot. Yes we can.

今回の選挙には、いくつもの「史上初」があり、これから何世代にもわたって語り継がれる物語がいくつもありました。 しかし、今夜の私の胸に去来するのは、アトランタで自らの一票を投じたひとりの女性の物語です。彼女はほかの何百万の人たちとほとんど変わるところがなく、列に並び、この選挙に自分の声を反映させようとしたのですが、特別な点がひとつだけありました。アン・ニクソン・クーパーさんは106歳なのです。
彼女が生まれたのは奴隷制が終わってからわずか一世代後で、道路を走る車もなければ空を飛ぶ飛行機もない時代でしたが、その当時、彼女のような人はふたつの理由から投票を許されませんでした。ひとつには彼女は女性だからであり、もうひとつには皮膚の色が理由でした。
そして今夜、私が思いをめぐらせるのは、彼女がアメリカでまる100年以上を生きる中で目にしたいろいろな出来事のことです-悲観と希望、苦悩と進歩。そして、われわれにはできないと言われた時代と、あのアメリカ的な信条を推し進めた人たち。その信条とは、すなわち、「大丈夫、われわれにはできる」ということです。女性の声が封じられ希望が退けられていた時代に、クーパーさんは生きて目にしたのです、女性たちが立ち上がって素直な意見を訴え、投票権を手にする姿を。大丈夫、われわれにはできるのです。

さすが、夢を語るスピーチ。
そして上手な対訳ですね。
「Yes, we can.」が「大丈夫、われわれにはできる」ですもんね。
“ 大丈夫は、Yesなのか? あるいは Yesは、大丈夫なのか? ” の命題については、今回は触れないこととして、
“ the times we were told that we can’t  われわれにはできないと言われた時代 ” について個人的な思いを巡らせたい。

僕が、生まれて初めて黒人の人たちを本格的に目撃したのは、あの懐かしい1964年の東京オリンピック開催の年だったと思います。
母親と渋谷に行った時、(多分オリンピックに関係して日本に来たのでしょう)黒人の人達を初めて見たのです。
その時に、母親から「指さすんじゃないよ」と言われたのでした。

東京オリンピックでの表彰台で、真剣な表情で黒人選手が拳を突き上げるのをテレビで見て、「なんで黒人選手たちは拳を突き上げるのだろう???」と素朴に思ったことを憶えています。
歓喜に溢れ喜びのポーズとして拳を突き上げたのではなく、明らかに抗議や主張のために拳を突き上げていたのが、まだ小僧であった僕にも感じられました。

東京オリンピックの数年後には、キング牧師も暗殺され、まだまだ黒人の人たちにとっては差別の真ん中にいたあの時代には、誰一人として黒人がアメリカ大統領になるなんて考えられなかったのではないでしょうか?

確かに
the times we were told that we can’t
があったんですよね。

ところで、「中高年から英話を話すなんてとても出来ないよ」とか「英会話を勉強なんて、今更遅いよ」と言われることもあるでしょう。

でも何年か後に、英会話をマスターして
I have seen the times we were told that we can’t, and the people who pressed on with that creed of 50代から学ぶ英会話: Yes we can.

なんちゃって言ってみたいですね。

ありがとうございました!







Pocket